2012年12月31日月曜日

主体101年の回想

大晦日ということで、今年1年を振り返ってみるとしよう。

やはり共和国的には人工衛星打ち上げ成功が大きいだろう。金日成主席の生誕100周年であった今年は、強盛大国の大門を開く年と位置づけられていたが、ある程度は達成できたのではないか?金正恩第一書記の卓越した指導力は実に頼もしいものである。

国内情勢としては、自民党の政権奪取があった。私にとっては初めての選挙であった12月の衆院選で、私は自民党の政権奪取を阻止すべく共産党へ投票したのだが全く期待外れの結果となった。来年以降の日本は悪い方向へ進んで行くのではないかと思う。

社会的話題は他には特筆すべきことはないように思う。去年が色々あり過ぎたということもあり、率直にいって印象の薄い1年であった。

続いて、個人的なことに触れよう。今年は私生活の上で重要な変化があったが、これについては最後に記そうと思う。

まず、今年新しく進展した出来事を書いていこう。

4月に学科勢の友人の協力を得て新しいPCが組み上がった。自分にとっては2台目のPCで、自作は初めてであった。第2世代Core i5ベースの高性能システムで、色々と捗る。このスペックを活かしてBF3とLOLを始めた。

7月に私は20歳になったが、これに関連していくつか小さな変化があった。飲酒、喫煙の合法化や、国民年金への加入、選挙権の獲得などがあったが、あまり重要な変化はない。しかし、成人式後の同窓会に誘われなかったことで自分の人間関係の脆さがますます露呈し、20年間の人生に対する深い反省が求められるというようなことはあった。

9月から運転免許取得に挑戦し始めた。これはなかなか苦戦していて、年内では仮免までしか到達しなかった。免許取得は来年の取り組みにかかっている。

続けてネガティブなことも書いていこう。

大学生活は端的にいってあまりうまくいっていないと言える。

4月時点では学科勢を誘ってサークルに再チャレンジしようという目論見もあったが、結局頓挫している。バイトも結局しなかった。大学生活2年目になってもサークルやバイトをしなかったということは、私の大学生活がそういったものとは無縁のものとなることが99%確定したようなものである。また、学科勢との交友関係の維持もギリギリである。今年に入ってから会話頻度は激減し、レポートの相互協力や長期休みのみ行われる集会によって辛うじて関係を保っている状態だ。

そして、大学関連で最も深刻な問題として、8月に一挙に5単位を落とすという事件があった。単位を落とすのは初めてのことだった。落とした科目はすべて今年から本格的に開始された専門科目であり、専門科目の難しさを痛感する結果となった。今後も継続して単位を落とし、留年へと繋がる恐れも大きく、現に後期でも既に1単位の不可が確定した。単位の問題はいま私にとって最も頭を悩ませている問題であり、実につらい。うつ病になりそうだ。努力と才能の両方の不足が原因だが、才能はどうにもならないし、努力もいまの自分にはとても難しい。

また、大学以外でも今年は悪いことが多かった。

9月に高校で最も仲が良かった友人との絶交があった。破綻に至ったのは仕方が無いことだと思うし、善後策を取る努力もしたと思うから後悔はない。しかし、仲が良かっただけに簡単に関係が破綻したのは本当にショックであった。認めたくはないが、人との関係は簡単に崩壊するものだと思い知らされた。

しかし、これまでに上げたことはどれも今年で最も辛かったことではない。自分にとっては10月に祖父が他界したのが最も辛かった。これについてはあえて多くは語らないでおこう。まぁともかく今は喪中であり、正月といってもちっともめでたくないのだ。

振り返ってみるとネガティブなことが多かった一年だ。しかし今年は大きな新たなる希望が生まれた。それは、最初の方で書いた「私生活の上で重要な変化」のことである。

3月に彼女ができた。人生で最初の彼女である。そして、人生で最後の彼女になってほしい、要するに生涯を共にしたいと願っている。

まぁ、本当に明るい話題だ。むしろ、これが無かったら2012年という年は全く意味がないし、真っ暗闇である。

彼女はTwitterで知り合った人で、まぁいろいろとすれちがったりぶつかることはあるのだけど、境遇とか似てて気の合うタイプだし、自分をここまで受け入れてくれる人はたぶん他にいないと思う。本当に可愛いと思うし、ずっと大切にしなくてはと思う。

まぁ、そんなわけで今年はデートとかたくさんしたし、海とか温泉に一緒に行ったりもした。クリスマスを初めて家族以外と過ごした。1月にスキーに一緒に行くのももう決めている。本当に楽しいものだ。

まぁ、この出来事はすごく重要で、幸せの定義とか人生の意義とか、わりと深いレベルの意識まで変革するような出来事だった。だから、なんというか、2012年というのは大きなターニングポイントになったと思う。そういう意味では今年は非常に重要な1年だった。

読み返してみると実に駄文ではあるが、一応振り返ることはできたからここで今年1年の筆収めとしよう。というよりBlog収めか?まぁともかく、次の更新は来年である。

みなさん、良いお年をお迎えください。

2012年12月16日日曜日

選挙!

開票速報出てますな、ということで当ブログでも速報的にレビュー。

私にとってははじめての選挙だったのでなかなか興味深いものだった。もちろん入れるのは小選挙区も比例代表も代々木に本部がある某党。小選挙区制は代々木に投票するとほぼ確実に死票になるので本当に張り合いのない害悪制度だなぁ。最高裁の国民審査も左翼的に判断して何人か×をつけてきた。正直×をつけるという制度は誰かを引きずり落とすようで気が進まないけど、どうせ国民審査でやめさせられるってのはないでしょ、前例からいって。

投票所は家の近所で非常に便利だった。体育館のような会場だった。あらかじめ郵送されてる投票権を窓口にみせると、まず小選挙区の投票用紙をもらえる。そうするとニュースでおなじみの金属製ついたて付きテーブルまで行って、ここで投票用紙に記入する。テーブルにはBくらいの濃い目のえんぴつが備えてある。記入は自由記入式で自分で名前を書かないといけない。私としては漢字を間違えて無効票にならないか不安だったが、このテーブルには「金正恩 朝鮮労働党」みたいに候補者と推薦政党が一覧になった紙が貼ってあったので、それをみながら書けば問題なかった。書いたら金属製の投票箱に入れる。引き続いて違う窓口で比例代表と最高裁の用紙をもらい、投票権はここで回収。比例区は自由記入式で、最高裁は名前の一覧から×をつける方式だ。比例区も「朝鮮労働党 労働」みたいに党名と略称が一覧になったカンニングペーパー付きだから安心だ。比例代表と最高裁の用紙を投票箱に入れると選挙は終了。意外とあっさりしたものだ。

速報を見てると自民圧勝で本当に腹が立つ。民主がダメだから自民ということなのだろうけど、どうなんだろうなぁ。みんな自民に何を期待して投票しているのだろう?国防軍か?

まぁ他人様の投票行動に文句をいうのはやめておこう。こんなの好きなところに投票すればいいんだし、別に投票しないのも勝手だ。代々木は死票になるから妥協して民主、とかいう考えもナンセンスだと思う。別に単なる意思表示なんだからいちばん好きなところに入れればいい。

運転免許補完計画 第3次中間報告書

今日の報告では修了検定と仮免学科試験のことについて書こうと思う。

修了検定というのは、まぁ実技テストだ。学校内の決められたコースを運転して教官に採点してもらう。仮免学科試験はペーパーテストだ。この2つの両方に合格しないと先に進めない。しかも失敗すると12kくらい追加料金がある。

検定は土曜日の朝8時30分から行われた。私は早起きが大嫌いであるし、前日は緊張してあまりよく眠れなかったので非常にしんどかった。本当にこういうスケジュールを設定されるのはムカつくものだ。まぁ、時間的にはギリギリで遅刻にならずに済んだが、3分くらいしか猶予がなかった。部屋に入るとなにやら普通の学科が始まった。教官に「え、これ検定じゃないの?」などととぼけたことを聞くと、やはり私は部屋を間違えたらしい。まぁ正しい部屋に案内してもらえたので事なきを得た。どうでもいいことだが、部屋の移動のときにショートカットで普段は入れない教官室を通ることができて面白かった。

最初に説明を聞く。どうやらコースミスは減点対象にならないらしい。前にコースミスしたときに、朴正煕似のおっかない教官から、「なんで右って言ってるのに左に曲がるんだ?!これが検定なら指示違反で一発アウトだからな!」とか怒られたけど、それはウソらしい。これで安心してコースミスができるぞ。(フラグ

修了検定はひとつの教習車に複数人で乗り込んで行う。コミュ症としてはこれも地味に厄介だ。一緒になったやつらはコミュ症っぽい男子が2人と眼鏡をかけた真面目そうな女子が1人だった。みんな年齢不詳だけど、まぁだいたいの人は大学1年で免許取るからたぶん年下だろう。自業自得とはいえ1人だけ年長者というポジションは不愉快だ。教習車に乗るときに真面目そうな女子が「頑張りましょうね!」なんて気丈に話しかけてきたけど、男子が全員コミュ症なせいで誰も返事をしなかった。私がワンテンポ遅れて返事をしたけど、検定直前のタイミングで気まずい空気になってしまいかわいそうだった。本当にコミュ症ってやつは害悪だなぁ…。

4人全員が乗ると最初にお手本を見せられるのだが、その後は一度に乗るのは2人ずつで他の2人は待合室で待っている。私はラッキーなことに最後の順番だったので待合室に入った。待合室は他の教習車のやつらもいたけど、もちろんみんな無言である。雨が天井を叩く音しかしない無音の待合室の中で30分くらいも待つのは非常にしんどかった。こんなことならケータイでも持ってくればよかった。

まぁ、そんな感じでようやく自分の番になった。直進コースで30km/h出すことになってる。セカンドギアでもいけるけど、テクをアピールする為にサードまで入れるべきか、それとも余計なミスの要因を減らすためにセカンドで行くか、非常に迷いどころではあったが、前のやつがサードにしてたので私もサードにした。それから踏み切りとか坂道とかクランクとかお決まりの厄介ごとをこなしていく。あと、安全確認が本当にしんどい。突っ込まれないように異常にキョロキョロしながら運転した。まぁなんとかボロを出さずに経過していたけど、教官がやたらと何かをメモしているのが非常に気になった。前のやつのときはほとんどメモとかとってなかったのに、何をそんなにメモしているのだろう?やはり無自覚のうちにいろいろまずいことをしているのだろうか?

そしてとうとうやらかした。S字を出てから左に曲がるのだが、ナチュラルに右に曲がってしまった。教官が「左折って言ったんですけどねぇ」とか言ったところでようやく気付く。安定のフラグ回収である。もうこうなると総くずれみたいな感じで一気にいろいろやらかしだす。コース修正で交差点に入ったら前に1台車がいて、このことで後ろの交差してる道路にはみ出してしまい、「後ろにはみ出して車線ふさいでるけどいいのかなぁ?」とか教官に注意された。いままでの教習で交差点で前に車がいるという状況はなかったのでそんなことは全然知らなかった。なぜよりによって検定、しかも空いている時間にこういうことが起こるのか、非常にアンラッキーである。しかしまぁ、検定で注意されちゃうのはイカンでしょ。それから、ナチュラルに二速発進もやらかした。エンストしなかったし揺れもなかったけど、たぶんバレてるでしょ。

まぁそんな感じで検定は終了。車から降りて教官のありがたいお言葉を聞くのだけど、最初に「どこが悪かったと思う?」とかなぜか質問された。二速発進についてはどうせバレてるだろうけど黙秘して、コースミスと交差点とだけ言っておいた。正直いってこっちに質問しかけてくる系の教官は普段の教習でも本当に苦手である。その後にありがたいお言葉が始まった。「運転操作が不慣れ。発進でメータみたりギアチェンジでレバーみたりしてる。でも慎重に運転していたので幸いにして大きなミスにはならなかった。しかし実際の路上はもっと難しい。もっと慣れていきましょう」とのことだった。なんというか合格とも不合格とも解釈できる表現である。

校舎に戻ると放送で合格発表される。結果は合格!まぁ本当に危なかったけど、なんとかなってよかった。

この後に学科試験をやったけど、これについて語ることはあまりない。要するに簡単だ。いや、問題自体はかなり専門的だし結構ひねってあって、合格点も90%だから大変といえば大変だけど、出る問題は問題集と同じだから勉強すればいける。ということでこれも合格

これにて無事に仮免許の交付が決定し、 晴れて第2段階へと駒を進めることになった。

まぁ嬉しいのはもちろんだけど、ここまでやってまだ半分も来てないのかという思いが強い。そして修了検定ですらこんなに難しいのだから卒業検定はますます難しいのだろうと本当に不安になる。そして第2段階では技能でも学科でも集団で行うコミュ症殺しの項目が複数ある。さらにこれからの時期は高校生とか大学新入生が増えて老害にはつらい。そもそも路面が凍るし運転に向かない季節だ。本当に前途多難であるなぁ。

まぁ、教官は合格後の説明でさっさと予約取れ、今日取れって言ってたけど、とても疲れたのでもう年内はやらなくていいでしょ。

というわけで、来年になってからまた第4次以降の報告も上げていこう。それではまた…

2012年12月11日火曜日

運転免許補完計画 第2次中間報告書

今回からは実際の教習について書いていく。

まず学科。50分1コマで、第1段階で10コマ、第2段階で16コマある。出席して聞いていればよいだけで、それこそ誰にでもできることだ。現に、私も学科については第1段階の分はすべて終わってしまった。しかし、ここでしっかり勉強しないと試験のときに困るかもしれない。内容はそこまで退屈なものではなく、むしろいままで知らなかった身近な交通の知識を教えてもらえるので面白い。だが、私の自動車学校では結構当てられるのでそこが厄介である。

個人的に面白いと思ったのは、学科で使う教本が某巨大自動車資本のTOY○TAの発行であったことだ。派遣労働者を使い捨てにする大企業はプロレタリアートの敵である。T○YOTAはCMでもドラ○もんを使って運転免許の宣伝をしてくるが、自動車業界のリーディングカンパニーとしてよほど「若者のクルマ離れ」が心配なのだろう。クルマ離れも要するに若者があまり金銭的余裕がないことが原因である。CMを打ったりするカネがあるならまずは自分のところで働いている労働者の賃金を上げてみたらどうだろうか。

また、学科ではビデオを見ることがある。私の自動車学校では「テク○カAV」というシリーズを使っていた。内容は実際の公道でクルマを動かしながら様々なシチュエーションを再現するものだ(公道を貸しきって撮影したのだろうか)。映像には私の育った町である杉並区の道路で撮影したと思われるものも入っていて、自分の知っている風景が写ることもちらほらあり、非常に嬉しかった。故郷との意外な形での再開である。

学科については特筆することはこれくらいなので、以降は技能をメインに書いていこう。技能で使うクルマはマ○ダのアク○ラというクルマであった。コースは土地が狭いのであまり広くはないほうだと思う。

技能は非常に難しく、最初の1時限目から挫折してしまった。というかいままで知らなかったことが多すぎる。例えば、クルマの周りを歩くときは必ず右回り(右ハンドル車の場合、助手席→ボンネット→運転席→トランク→助手席)に歩くというきまりがあるらしい。安全確認上の理由だとか。あと、ドアを閉めるときは急にバタンと閉めてはいけなくて、一回閉まる手前で止めてから閉めるらしい。実家に帰ったときに家のクルマでこの閉め方を真似したら半ドアになってしまったがwでも、やはり急に閉めるのはよくないだろう。以前家のクルマで親がドアをバタンと閉めたら、その衝撃でリアウィンドウが粉々に割れ落ちたこともある。クルマは精密機械なのだなぁ…。

難しいことは山ほどあるが、特に問題になるのは半クラッチというMT独特の操作である。クラッチというのはエンジンと駆動輪を接続する装置で、これの操作は左足でクラッチペダルというのを踏んで行う(ATだと機械がやってくれる)。工学部だが機械系ではないのでこういう辺りにはあまり明るくない。当然エンジンと駆動輪がつながらないと動けないのだが、いきなりつなぐと負荷が多すぎてエンジンがストップする。これをうまくやるのが、エンジンと駆動輪を半分くらいつなぐ操作である半クラッチである。何が難しいかというと、このペダルはなぜか前と後ろに大きく遊びがとってあって、半クラッチを実現するにはごく狭い範囲にペダルをキープしなければならない。このペダルはバネで勝手に上がってくるので、ちょっとした拍子で一瞬でも力が緩むと即エンストである。難しさが伝わっただろうか?この操作がうまくいかなかったのが原因で1時限目からオーバー(やり直し、再履修)となってしまった。この操作はMTでは発進や徐行のときに必ず必要なのでこれが下手だと後々まで尾を引く。まぁ、要するに運動神経というか、左足の筋肉がないと難しいのだ。

そんな感じでいろいろと苦戦したが、本日でようやく学科、技能とも第一段階のカリキュラムはすべて完了した。技能のオーバーは計3つであった。土曜日に検定を受け、合格ならば仮免許交付で路上教習に移行する。とうとう池沼が野に放たれるときがくるのだ。さて、吉と出るか凶と出るか?乞うご期待!

2012年12月8日土曜日

さーひる風実験グラフ作成術


図1:Level Shift Diodeがある場合とない場合の入力電圧と出力電圧の関係


こういう真面目な理系記事にどの程度需要があるか分からぬが、ふと思いついて私が普段実験レポートでグラフを作るときに気をつけていることをまとめて書いてみようと思う。最初に断っておくと、私が使っているのはMicrosoft Excel 2003であり、より専門的なグラフソフトを使うほどの技能はない。ここに書くことは、高校時代に科学部で顧問の先生や先輩から教わったことをベースに、大学で聞いたことや自分で調べたことを加えてアレンジした知識である。高校の科学部で教わったノウハウは非常に有用で、特にあるとき2つ上の先輩から部員を集めてこういったグラフの作り方、他にレジュメやプレゼンの作り方などをレクチャーしていただいたことが印象に残っている。もちろんいまでも知識や技術でその先輩には遠く及ばないが、私もそういう風に知識を自分なりにまとめてみたいと思ったのだ。

本題に入ろう。今回は以下の表1のようなデータから冒頭の図1のようなグラフを作成することを目標としたい。表1で左側の2列が"with Level Shift Diode"、つまり図1における赤い線のグラフに対応し、さらにその2列の中で左側の列に横軸の"input voltage /v"、右側の列が縦軸に"output voltage /v"のデータが並んでいる。同様に右側の2列は青い線のグラフに対応し、2列のうち左側の列に横軸、右側の列に縦軸のデータが並んでいる。ちなみに、このグラフとデータは電子回路の実験のグラフであり、私が実際に大学の実験科目のために作成したレポートからほぼそのままの形で抜き出したものである。

*     *     *     *     *

表1:Level Shift Diodeがある場合とない場合の入力電圧と出力電圧の関係
with Level Shift Diode without Level Shift Diode
入力電圧 /V 出力電圧 /V 入力電圧 /V 出力電圧 /V
0.22 4.99 0.06 4.96
0.4 4.95 0.12 4.92
0.61 4.32 0.18 4.75
0.66 3.99 0.22 3.99
0.71 3.64 0.35 3.41
0.76 3.35 0.41 2.88
0.8 2.96 0.46 2.48
0.87 2.49 0.52 1.91
0.9 2.12 0.59 1.26
0.97 1.62 0.65 0.75
1.03 1.09 0.71 0.32
1.09 0.64 0.76 0.24
1.16 0.27 0.84 0.18
1.25 0.18 1 0.14
1.44 0.14 1.24 0.12
1.65 0.12 1.49 0.11
1.8 0.1 1.96 0.09
1.99 0.09 2.57 0.08
2.5 0.08 3.03 0.08
3 0.08 3.54 0.08
3.49 0.08 3.98 0.08
4 0.08



*     *     *     *     *

実験について専門的な説明をしよう。この段落はよく分からないときは最悪読み飛ばしてもいいだろう。これは、ある半導体回路にLevel Shift Diodeという部品を加えた場合の効果を確認する実験である。この半導体回路には入力端子と出力端子があり、入力端子に低い電圧をかけると出力端子には高い電圧が、入力端子に高い電圧をかけると出力端子には低い電圧がかかる仕組みになっている。入力端子にかける電圧を徐々に上げてゆくと、ある値で出力端子にかかる電圧が急落する。この値をスレッショルド電圧というのだが、Level Shift Diodeがある場合はこのスレッショルド電圧がない場合と比べて高いことがグラフから読み取れると思う。つまり、Level Shift Diodeにはスレッショルド電圧を上げる効果があるということを確かめる実験だ。では、次の段落から実際にグラフの作り方に入っていこう。

  1. 基本は散布図
     
    "何をするにも最初が肝心、という格言はどんな学問にもあてはまる"
    -カール・マルクス
    
    

    最初にすることは、表1のデータをExcelに打ち込み、データをすべて選択してグラフ作成ウィザードを起動することである。そうすると折れ線グラフだの棒グラフだのいろいろな種類を選ぶことができるが、基本的には散布図を 使おう。横軸のデータが時間や質量、電流、濃度などの連続量である場合はとりあえず散布図だ。散布図には近似曲線が入れられるし、どのような順番でデータ が入っていても問題なくグラフを作成できる。折れ線と紛らわしいが、折れ線はデータポイントを勝手に線で結んでしまい本質の理解の妨げになるからあまり使うべきではない。横軸のデータが連続量ではない場合(いろいろな元素の第1イオン化エネルギーをグラフにするとか、各金属の標準電極電位をグラフにするとかの場合)は折れ線グラフや棒グラフを使うのが適切である。

    図1のグラフでは平滑線つき散布図を使った。ただし、どんなときでも平滑線を入れればよいということではない。平滑線はありもしないピークを作り出したりして混乱のもとになる場合もあるし、実験式が予測できる場合(比例関係など)なら、平滑線ではなく近似曲線を入れるべきだ。近似曲線を入れるときは、まずは普通の散布図を選び、グラフが完成してからデータ系列を選択して右クリックメニューの「近似曲線の追加」から好きなタイプの近似曲線を選べばよい。近似式を表示することも可能だ。
  2. グラフの系列


    "人間がすべての事の主人であり、すべてを決める"
    -金日成
    
    


    図2:デフォルトのグラフ

    とりあえずグラフを作ると、Excelのデフォルトでは図2のような感じのものができると思う。まぁデザイン面もいろいろと図1とは違うのだが、最も重大な問題はグラフの形が全然違うし、系列もなぜか3つもあるということだ。これは数字の羅列のうちどの数字とどの数字が組になっているか?というグラフの系列をコンピュータが正しく理解できなかったことが原因だ。たいていの場合はExcelはグラフの系列を自動的に正しく理解してくれるので、自分の思い通りのグラフが完成していたらこの段落は飛ばして構わない。しかし、今回のように複雑な場合はこういうミスを犯す。このようにできあがったグラフが自分の考えていた形と全く違った場合、これを直すには人間が手動で正しいグラフの系列を決めなければならない。

    まず、グラフを右クリックして「元のデータ」を選ぶ。「系列」タブを選択するとグラフの系列の調整ができる。今回は横軸に列Aのデータを、縦軸に列Bのデータを使用する"with Level Shift Diode"系列と、横軸に列Cのデータを、縦軸に列Dのデータを使用する"without Level Shift Diode"系列の2系列のグラフを作りたいので、そのように入力すればよい。この画面では、系列の名前を決めることもできるので、ここで決めておく。これらの入力の際は、手入力の代わりにセルを選択して入力とすることができるので、積極的に活用しよう。また、必要な系列は2つなので、最後の1つは選択した状態で削除ボタンを押して消してしまう。

    こういってもよくわからないと思うので、実際にグラフの系列の調整をしているところのスクリーンショットを図3に載せておこう。

    図3:グラフの系列の調整
  3. Axis Label
     
    "抽象的な真理などない、真理は常に具体的である"
    -ウラジーミル・レーニン
    
    

    この段階ではまだグラフは未完成だ。というのは軸の数字が何を意味しているのかが書き込まれておらず、このままでは抽象的過ぎるからだ。右クリックでグラフのオプションを選択しよう。ここで軸にタイトルをつけることができる。

    タイトルはただ電圧とか書くのではなく、どこの電圧なのかが分かるように書こう。また、単位が必要だ。今回は"Input Voltage"とかいうふうに英語でタイトルをつけた。別に日本語でもいいのだけど、英語で書いたほうがスタイリッシュである。それに、サイエンスの世界では英語が共通語なので、こういうふうに積極的に英語を使うとテクニカルターム(英語の専門用語)が覚えられて便利だろう。それに、日本語で書いた論文を英語に直すとき、このようにしておくと面倒なグラフの差し替えをしなくて済むかもしれない。ただし、スペルミスがあると非常に恥ずかしいのでよく確認しよう。私は英語が苦手なので、簡単な単語でもネットで正しいスペルを調べてから書いている。

    次に、単位のつけ方だ。単位のつけ方は"(V)"とか"[V]"とかいろいろな流儀があると思うが、私はスラッシュを使う"/V"の使用を強く推奨する。大学の先生に聞いたのだが、

    (量)=(数字)×(単位)

    という風に量を数字と単位の掛け算としてみる考え方がある。量は入力電圧とかのこと、数字は電圧値などの量から単位を抜いて数字だけを抜き出したもの、単位は"V"とかの単位だ。"0.22 V"という量なら、"0.22"というただの数字に"V"という単位を掛けたものだ。目盛りに振ってあるのは1,2,3,4,…というただの数字で、単位はついていない。上の式を変形すると

    (数字)=(量)/(単位)

    となるから、目盛りの数字を説明するのにふさわしい表記は、"Input Voltage"という量の説明の後にスラッシュで"/V"を付け加えたものなのだ(なお、美観のために"Input Voltage"と"/V"は1スペース離している)。この書き方で注意したいのが単位の表記法だ。"m/sec"というような組立単位があるが、これをそのまま"m/sec"と書くとスラッシュだらけでよく分からないことになる。こういう組立単位の場合は"m・sec^-1"というようになるべく指数形式の表記を使うようにしよう。
  4. 細部のカスタマイズ
     
    "マルクス主義の道理は複雑だが、つまるところ一言に尽きる。造反有理だ"
    -毛沢東
     
     
    ここまでで一応グラフは完成したが、これでは美しいグラフとは言えない。Excelがデフォルトで押し付けてくる設定に反抗し、各所に自分好みのカスタマイズを行うことで美しいグ ラフを作ることではじめて美しいグラフを作ることができるだろう。以下に箇条書きで私のやり方を書いていこうと思う。

    •  プロットエリアの領域を削除
      Excel2003ではプロットエリアがなぜか灰色に塗りつぶされている。特に印刷したときなど、これは非常に邪魔なので削除してしまおう。削除はプロットエリアをダブルクリックして「プロットエリアの書式設定」を開き、「領域」で「なし」を選べばよい。「輪郭」も「なし」にしてもよいが、図1では色を黒に変えて残している。
    • グラフエリアの輪郭を削除
      グラフを文書などに挿入すると、グラフエリアの輪郭も邪魔である。一般的に論文に登場するグラフにはこういう輪郭はない。グラフエリアをダブルクリックして、「輪郭」で「なし」を選んで削除しよう。
    • タイトルの削除
      デフォルトでグラフにタイトルが挿入される場合があるが、その場合はこれも削除してしまおう。タイトルを削除すると何を意味しているグラフなのか分からなくなってしまう。しかし、文書などにグラフを挿入するときは下にキャプションを入れることが常である(図1でもそうなっている)。ならば、グラフの上部にも同じことが書かれているのは冗長でかえって見苦しいので削除したほうがよいだろう。
    • 軸の調整
      軸もデフォルトのままではいけない。軸をダブルクリックして「軸の書式設定」を開こう。まず、「目盛」タブを開く。ここで「最小値」と「最大値」を調整し、グラフがプロットエリアいっぱいに描かれるようにする。左側のチェックマークがついている項目は自動で調整される。必要な場合は「目盛間隔」も調整しよう。また、「表示形式」タブをに移動して「分類」の中から「数値」を選び、「小数点以下の桁数」を調整すれば、"2.00"のような有効桁数を強調した目盛を振ることもできる。
    • 凡例の削除または位置変更
      デフォルトで凡例が挿入される場合がある。この場合、もしもグラフが1本だけなら凡例は不要なので削除してしまおう。グラフが2本以上のときは凡例は必要なので残しておくが、この場合もなるべく位置を変更してプロットエリアの内部に入れてしまう。そうしたほうがプロットエリアを広く取ることができるからだ。入れる場所はだいたい右上か右下で、グラフにかぶらないような位置にするべきである。凡例をプロットエリア内に入れたら、プロットエリアをドラッグで広げよう。なお、図1では美観の為に凡例の輪郭も削除した。
    • 配色の調整
      グラフの色を見やすい色に調整しよう。最近のExcel2007やExcel2010ではデフォルトでも結構見やすい色を出してくるが、旧式のExcel2003ではこの調整は重要だ。データ系列をダブルクリックすると「データ系列の書式設定」が開くので、ここで色を調整する。変更する箇所は3つあるので系列が多いと少し面倒である。ディスプレイ上では見やすくても印刷すると見えにくいこともある(加法混色と減法混色の違い)。特に黄色やピンクは印刷すると見えにくい。この調整については、モノクロで印刷するときは特に注意が必要である。
    • 縦長のグラフか横長のグラフか
      最後に、グラフの縦横比を調整する。図1のグラフはなるべく横長のグラフにすべきである。なぜかというと、このグラフで主張したいことは"Level Shift Diodeがあるとスレッショルド電圧が上がる"、つまり"赤いグラフは青いグラフよりも右側で急降下する"ということだからだ。要するに、なるべく赤いグラフが急降下する位置と青いグラフが急降下する位置を離してみせたいので、横長のグラフにするというわけだ。もし縦長のグラフにすると、赤いグラフと青いグラフが接近してたいして違いが分からなくなってしまう。このように、自分がそのグラフで何を主張したいのかを考えながら、縦長のグラフか横長のグラフかどちらが適切なのかを見極めよう。もちろんこれはグラフを貼り付けるスペースとも相談する必要がある。

    美しさは重要である。科学部の時代に顧問の先生はしょっちゅう私の論文に「美しくない」という指摘をしていた。しかし、"美しい"という判断基準は人それぞれなので、ここは個性の出る部分でもある。上に上げたのはあくまでひとつの参考なので、いろいろと改良してみてほしい。
以上、4項目に分割して私のグラフ作成術をまとめてみた。いろいろとおかしい点もあると思うけれど、私と同じように実験グラフを作るような人にとって参考になる内容になっていたら幸いである。質問や指摘がある場合はコメント欄かTwitterにお願いしたい。

2012年12月6日木曜日

運転免許補完計画 第1次中間報告書

今日は自動車学校について書こうと思う。第1次という書き方をするということはまだまだ続くということだろう。一体いつになったら卒業できるのだろうか?まぁ今回はいきさつをメインに書いていこうと思うので、退屈な文章になってしまうかもしれない。

免許をとろうという話は去年大学に入学したときくらいからあったのだが、何につけても行動が遅い私の性格に加え、震災で春の講義開始が遅れたために夏休みが減るといった要因もあって、いまの時期までずれ込んでしまった。いま取ろうと思ったのは、原付が運転できるようになると何かと便利という動機がメインだが、恋人が自動車を運転する人なので前よりも運転について身近に考えるようになったということも大きいだろう。でもいま考え直すと、原付については技術的にも経済的にも難しいのではないかと思われる。

免許を取るには大金がかかるのでまずは母親に相談してみた。私の母親はMT免許保持者で、トンキン在住の癖に日常的に車を運転し、旅行などの際も数百kmを1人で運転できる。しかも自動車学校もストレート合格という、我が親ながら天才ではないかと思うほどの運転技能を有している。もちろん無事故であり、壁などにぶつけることすら滅多にない。その母親がなぜかMT免許をとることを猛烈に進めてきた。私は内心嫌だったが、結局説得に屈してMT免許をとることにした。いま思えばこれが失敗だった。母親いわく、どんな車でも運転できるようになっておきなさいということらしい。母親が免許をとったのは私が生まれてからなのでAT限定を選ぶこともできた。しかし、当時流行っていた「スピード」というアクション映画の中でヒロインの女性がいきなり運転手に代わってバスを運転することになるシーンがあり、自分もそういう立場になっても困らないように、との考えでMT免許をとったらしい。厨2病的な動機である…。

(この段落について補足説明すると、自動車にはMT車とAT車の2タイプがあり、免許にも両方運転できるMT免許と後者のみ運転できるAT限定免許がある。一般的にMT車の運転は非常に難度が高いうえ、現在は普通自動車ではAT車のほうが圧倒的に多いので、実用目的ならばAT限定免許で十分とされている。しかし、トラックやバスなどの業務用の大型車では依然MT車が主流である。)

さて、そんなわけで9月の終盤に私は自動車学校へと足を運んだ。入校日にはいろいろと説明を受ける。 自動車学校には期限があって、入校から9ヶ月以内に卒業しなければならないらしい。非常に不安である。それと、教習には第1段階と第2段階があり、第1段階が終わると仮免許が交付され、次は公道で練習するということも聞いた。第1段階と第2段階のどちらも学科(いわゆつお勉強)と技能(実際に運転をやる)の2種類があり、技能の方は下手な人は何回もやり直させられるらしい(1回もやり直しがないとストレートという)。それから、第2段階に進むときと卒業するときには学科と技能それぞれについてむずかし~い試験がある。説明はこんな感じだが、世間では「免許なんて誰でもとれる」という風潮だが、実際はそうではないということが分かった。免許を取るのは大事業であり、免許保持者は偉いのである。考えてみれば、学生のうちは基本的に学校の勉強や入学試験といったことしかやらず、学校からしか評価されないが、運転免許は国家資格である。国家や社会からの評価を受けるのだ。運転免許は簡単にとれる資格ではないのだ。

認識を新たにしたところで、 今回は筆を置こうと思う。次回以降の報告では実際の教習の様子をメインに書いていこうと思うので、今回よりはもう少し面白い内容にできるだろう。

2012年12月3日月曜日

東北大一日行動参戦記

11月27日、私が通っている大学で東北大学学生自治会(中核派系)及びサークル協議会(中核派系)の主催する「東北大一日行動」が開催された。これは、7月にいままでサークル協議会がもっていたサークル部室配分権を大学当局が一方的に奪い取る決定をしたことに抗議するもので、学生運動のメッカである法政大学文化連盟(中核派系)をはじめとする全国各地の大学の中核派系の学生組織からも応援が駆けつけた。

さて、当日私は昼食もそこそこにキャンパス内の一角の演説が行われているスペースへと駆けつけた。当局はこの運動を妨害するために"会計規定"に基づいた拡声器を使用する集会の禁止令を出していたが、彼らはそれにひるもことなく立派に演説していた。演説は自治会や文連のメンバーによって行われ、サークル部室配分権を奪い取る当局に対しての糾弾や、原子力発電所の再稼動への批判といった内容が中心であった。演説に合わせて周囲の関係者が「ヨシッ!」「ナンセンス!」などと合いの手を入れたり、太鼓を叩いたりして場を盛り上げたりしており、傍観者ながら私も非常に興奮した。

初雪が舞うほどに寒い中凍えながら演説に聞き入っていると、関係者が声を掛けてくれた。

「太鼓を叩いてみない?」

「え、いいんですか!やらせてください!」

もちろん私は二つ返事で了承。他の太鼓に合わせてリズムをとって演説を盛り上げる。まさに「太鼓持ち」である。もしいま当局が中止を命令しにきたら私も共犯(?)とみなされるかもしれない。しかし、そのスリルも学生運動の楽しさの一部である。私は妙な高揚感、一体感を覚えた。実際に身体を使って運動に参加するのは、ネットや新聞で社会情勢について読んだり考えたりするのよりも何倍も意義深いことに思えた。演説者は叫ぶ、

「君の人生に足りないのは学生運動なんだよ!」

異議ナシ!まさにその通りである。

演説が一通り終わると、我々は部室配分権を奪った当局に対する抗議文を提出するために反動と抑圧の牙城である管理棟へと向かった。道中で我々はシュプレヒコールを上げる。

\部室を奪うな!/
\看板壊すな!/
\弁償しろよ!/
\大飯を止めろ!/
\御用学者追放!/
\学費が高いぞ!/
\俺たちゃ貧乏!/

管理棟の受付に到着した我々は抗議文を提出した。しかし、なんと当局は受け取りを拒否したのであった。

「理由を言えや!」
「責任者出せ!」
「裁判にしてもいいんですか!」

我々は恫喝する。途中で反動学生が拡声器がうるさいといちゃもんをつけてくる一幕もあった。どうやら当局側の言い分によると、「非公認団体やそれに同調する学生からの抗議、要望は一切受け付けない」ということらしい。ナンセンス!まさに学生を無視した当局の独裁ではないか。私はいままで部室配分権の問題についてあまりよく考えたことがなかったが、抗議、要望を受け付けることすらぜずに一方的に物事を進めるやり方には強く憤りを感じた。残念ながら我が大学の当局は民主主義の敵対者である。

結局当局は最後まで抗議文の受け取りを拒否した。しかし、私はこうした抗議は続けていかなくてはならないと思う。こういう風にこちら側を一切無視する者を相手にする場合、とにかく目立つ方法で恫喝をしまくることが最も有効な手立てである。これは私の経験則上そうである。相手が本気で迷惑がるように、ひたすら根気よく恫喝する。そうすれば必ず相手が折れて、たとえ部分的にでもこちら側の要求を飲ませることができる。徹底した恫喝は共和国の外交ドクトリンでもある。交渉のキモは相手を大声で叩く恫喝力なのだ。

抗議文の提出には失敗したが、当局の集会禁止令をものともせず、白昼のキャンパス内で堂々と演説を行うことができたことは、我々の団結は当局の弾圧を打ち砕くことができるということをはっきりと示しており、闘争としては成功だったのではないだろうか。このような立派な闘争を行った東北大学学生自治会、サークル協議会、その他各大学の学生組織に心からのエールを送りたい。

日本の学生運動は1960年代にピークを迎え、その後は下火になっているといわれている。事実、私の周囲でも学生運動に対しては批判的、冷笑的な見方が圧倒的だ。しかしそんなことは関係ない。学生運動が人をひきつける魅力は今も昔も変わらないと感じた。その魅力は、団結である。団結は人を強くする。部室配分権の奪い取り、考えてみれば非常に理不尽な決定だ。しかし我々はそのことをほとんど問題視せず、ただ権力に盲従する。だが、我々は仲間と団結すれば声を上げることもできるのだ。こんなふうにして大声でシュプレヒコールを叫ぶなんて、一人では絶対にできない。しかし、こうして大勢で一緒にやればどんなことも恐ろしくはないと感じた。自分でも自分になぜこんなことができるのか驚いた。これが団結の力なのだ。団結は人々に力を与え、暴虐の鎖を断ち、そして共産主義の勝利へと人々を導いてくれるのだ。

P.S.
「東北大一日行動」についての記事が中核派の機関紙である「前進」のweb版に掲載されました。以下にリンクを貼ります。ちなみに、記事中の一枚目の写真には私も写っています。

東北大でサークル活動破壊に大反撃、キャンパスで全国学生集会打ち抜く
http://www.zenshin-s.org/zenshin-s/sokuhou/2012/11/post-1819.html

2012年11月14日水曜日

“ぼっち”の原因論的考察 –積年の黒歴史にメスを入れる-


今回の記事では自分の黒歴史についても取り上げていこうと思う。もう十分に時間がたったし、時効というものである。

なぜ自分に友達ができないかという理由に関しては、例えば池沼だからだとか、無趣味だからだとか、昔から友達がいなくて作り方がわからないから(ぼっちの再生産説)だとかそれこそいろいろな理由の付け方があるだろう。しかし、今回はこういう理由ではなく、もっと本質的であり、かつ挽回可能な理由を取り上げたい。

言ってしまえば単純だが、要するに「友達を作ろうとする努力が足りない」のである。いや、「してない」というべきか。このことを自覚したのは毎週の学部実験の時間である。

学部実験は4人チームで行うのだが、私以外の3人はリア充で友達同士らしくよく話している。まぁ、私も話しかけられたときくらいは受け答えるし、業務連絡は普通にやる。私は池沼ではあるが、実験の合間に話すような浅い会話でなら私でもボロを出さずに済むし、私は実験の作業の中で中心的役割を果たしているから、チームメンバーからはたぶん嫌われてはないと思う。メンバーの1人など、学期終了後に私を労う意味も込めて打ち上げパーティをやろうなどと言い出したほどである。だがしかし、私はその日の実験が終わると挨拶だけして即座に帰ってしまう。

何回目かで気付いたのだが、これは高1の部活に入りたての時期によく似ているなぁ、と感じた。私は高1の秋に突如科学部に入部したのだが、当初は部活内はもちろんのこと学年内にも友達がいなかったので、コミュニケーションに対して非常に臆病であった。そして、このときも学部実験と同様に、部活の時間内はある程度普通に部活のメンバーと会話をするのだが、部活の終了時間になると他のよりも5分ほど先に帰ってしまうということがあった。

こういった状況を見かねて、顧問のG先生が「みんなと一緒に帰ってみたらどうか?」とアドバイスしてきた。結構怖かったが、当時の私はG先生をネ申のように崇拝していたのでその通りにしてみた。まぁ、結果からいうとこの試みは成功した。もともと(入部当初は)部活のメンバーは先輩後輩ともに私に好意的だったので、私は様々な池沼プレーをしでかしたにも関わらず友人の1人として受容されていった。残念ながらその後でいろいろとやらかしてこの部活は退部してしまったのだけど、それでも得るものは莫大であったと思う。なんというか、みんなで協力した文化祭とかではいわゆる青春のようなものの片鱗を味わったし、休みの日にみんなでカラオケやボーリングをしたりするという経験もして、こういうことはいままでの人生ではじめてだったので非常に楽しかった。

あと、この段落はぼっちの話題とは関係ない余談だけど、科学部で実験をたくさんしたことで実験技術やデータのとり方、考察の仕方に自信がついた。今日の学部実験で中心的役割を果たせているのはこの為だ。レポートの作り方も勉強した。私が学部実験で提出しているレポートの体裁は、もとをたどれば科学部時代にG先生から指導を受けながら苦心して作ったレポートから真似たものだ。

まぁ、なんというか思い出語りになってしまったが、要するにぼっちの原因は友達を作ろうとする努力が足りないことなのである。もちろん科学部の体験のようにすべてのケースがうまくいくわけではないが、努力しないことには始まらない。買わない宝くじは当たらないのだ。

思えば、去年サークルに入ったときももう少し頑張ればよかった。私はサークルでいじられキャラが確定してしまったので嫌気が差してすぐ距離を置くようになってしまったが、これはまずかった。いじられキャラのポジションは本当に苦痛だが、少なくともいまと違ってまわりに人は居たのだ。中には心ある人も居たかもしれないし、あるいはサークルの人間の友達とのつながりを作ってその人と友達になるといったソリューションもあったかもしれない。

でもまぁ、やはりいじられキャラはつらいので逃げてしまった。これは当初の目標設定に問題があったからだと思う。当時大学に入りたての私はいわゆる「大学デビュー」を志向していた。私の目標は、「大学ではなにかのサークルに所属し、友人をたくさん作り、あわよくば彼女を見つけよう」という非常に野心的なものであった。上昇志向といえば聞こえはいいが、土台無理な話であった。無理をして入学前のパーティに参加したり、Twitterで友達作りに励んだりもしたけどうまくいかなかった。こういった中で、自分は精一杯の努力をしているにも関わらず、全く目標どおりにはならないという現実に疲れ果て、ノイローゼ気味にまでなり、結局人間関係を自ずから遮断するという行動になってしまった。

考えてみれば、もう少し低く目標設定すればよかったと思う。たくさんの友人や彼女は作れなくても、1人、2人と着実に自分の友達を増やしていこう、という考え方でよかった。自分にはもともと冒頭で述べたようなハンディキャップがあるので、1人でも友達が作れればそれは偉業である、という考え方をすべきであった。

いままでで述べてきたことは2点に集約できる。1つ目は、ぼっちになってしまう原因はハンディキャップがあるからではなく、友達を作ろうとする努力が足りないからであるということだ。2つ目は、ハンディキャップがある場合は目標を高くしすぎると結局追い詰められて努力をやめてしまうということだ。

ハンディキャップに対するベストな対処としては、それを理由にして努力をやめることでもなく、またその存在を無視して高い目標設定をすることでもない。精一杯の努力をしつつも、うまくいかなかったときは「自分にはハンディキャップがあるから仕方ない」と自分を許していくことが肝要だ。

まぁ、残念ながらこのような理論が実践されても私はすでに大学2年生である。悲しい事実だが、私はもはや青春を謳歌するのには手遅れである。何をしても無駄なのだ、死ぬしかないのだ。

2012年11月7日水曜日

酒田現地指導

最上川を渡る橋の上から撮影した鳥海山

更新しないのもアレなので2週間ほど前に酒田に行ったときのことを書こうと思う。
遠距離恋愛中の恋人がこの辺に住んでおり、今回の酒田行きの目的はデートであった。

酒田は山形県の日本海に面した地域、庄内地方に位置する港町である。古くから北前舟を使った交易や最上川の水運で栄えてきた商業の町だ。私の母親が酒田の20kmほど南に位置する鶴岡の出身であり、私にとっては鶴岡と並び子どもの頃から身近な町である。私がいま住んでいる仙台からは高速バスで3時間、3000円程度で移動できる。隣県のわりには移動が億劫だが、奥羽山脈と月山・朝日連峰という2つの山を越えていかなければならない都合上仕方が無いことだ。

写真(iPhoneなので画質は悪い)は鳥海山だ。秋田との県境にそびえる2000m級の山で酒田からは大抵の日はよく見える。鶴岡からは天気がよくないとなかなか見えない山だ。春になると雪が溶け、酒田からはその模様が"種撒き爺さん"の形に見えるようになる時期がある。ちょうどこの時期が田植えにとって最適な時期であり、酒田周辺の稲作農家はこれを合図に田植えを始めるそうだ。

恋人とはイオンモールで合流し、近所の大学の文化祭、カラオケ、山居倉庫などを回った。大学の文化祭というものはあまり好きではないのだが、他大学の文化祭を見るという経験はなかなかに面白いものだ。地方の大学なので規模が巨大だったり超有名な芸能人が来たりするということはないのだが、かえって人出が少なくてのんびりとした雰囲気の中でデートを満喫できた。カラオケデートも非常に楽しく、お互いに2次元が好きなので本当に好き放題歌うことができた。

山居倉庫というのは米穀倉庫である。庄内地方は全国有数のコメの名産地であり、収穫されたコメを保管するために明治時代にこの倉庫が建設された。この倉庫の脇には美しいケヤキ並木が植えられているが、このケヤキ並木は飾りではなく、周囲の温度変化があっても倉庫内の気温をなるべく一定に保ち、夏は暑く冬は寒い庄内の厳しい自然環境からコメの品質を守る役割を負っている。倉庫自体も屋根を2重構造とするなどの工夫があり、木造でありながら優れた断熱・防湿性がある為、建設後100年以上を経た今もなお山居倉庫は現役で利用されている。

庄内地方のコメは大変美味であり、私も家で「つや姫」を炊いて美味しく食べている。金日成主席の名言に"すべての人民に白米肉のスープ"というのあるやはりアジア人としてはコメを大切にしていきたいものだ。

デート中の食事では「ステーキ宮」と「香林塔」を利用した。どちらも素晴らしい店であったが、前者はチェーン店なので今回はあえて後者を紹介したい。

この店は恋人から教わった店で、来るのは今回が初めてではなく数回目である。なお、香林塔は酒田ではなく、酒田と鶴岡のほぼ中間地点に位置する余目という町にある。ちなみに余目は"あまるめ"と読む。余目にある余目駅は県の日本海側を南北に走る羽越本線と内陸方面へ向かう陸羽西線とが接続する交通の要所であるが、余目の町自体は酒田や鶴岡と比べて大きくなく、広大な水田の広がるのどかな町である。香林塔は余目駅から数百mの場所に位置したログハウス風の店構えの洋食店である。吹き抜けの店内は木のぬくもりに包まれていて落ち着いた雰囲気で食事ができ、夕食時は地元客と思しき人々でいつも賑わっている。
香林塔のプレート

今回注文したのは写真のプレートである。このプレートは値段は1000円強でカレー、エビフライ、サラダ、ヨーグルト、ジュースを1度に楽しむことができる。いろいろなメニューを一度に食べられるというのは舌も楽しいし栄養の観点から言っても大変素晴らしく、一人暮らしで栄養が偏りがちな私にとっては非常にありがたい。そして、量もなかなかしっかりしているので満腹になれる。香林塔ではこの他にもスパゲティやハンバーグ、から揚げ、パン、スープ、アイスなどのメニューを同時に味わえるこの種のプレートメニューが何種類か揃えられている。

以上手短に振り返ったが、今回の旅行はデートとして素晴らしかったし、観光としてもとても楽しめるものだった。また機会があれば庄内について書きたいし、今度は鶴岡についても詳しく述べたいと思う。このブログを読んだ方も庄内地方をぜひ訪れたり、あるいは「つや姫」や「はえぬき」など庄内の美味しいコメをご賞味してみてはいかがだろうか。

2012年10月21日日曜日

Blog開設!!

さーひるです

ある人に誘われてBlogを開設しました
Blogをやるのははじめてですが、うまく更新できるよう頑張ります